見下した時、見下された時
馬鹿にされたらムカついたり、落ち込んだりします。
でも自分もやってしまう。
馬鹿にされたら
私は馬でも鹿でもねえ!
と言えばいいカモ🦆ですが…(動物たくさん出してみました)
実は何かを馬鹿にするときって、
その対象を鏡🪞にして、
自分の置いてきてしまった幼心を見ているような気がします。
多くの場合、最後に辿り着くのは
愛されたかった
そばにいて欲しかった
置いていかないで欲しかった
など、だと思います。
また、
自分がこれまで歩いてきた道の過程にいる何かを見た時もそうかもしれません。
あなたは何か思い当たることがあるでしょうか…?