言葉=分けるもの
名前を付けることは分けることという話しを聞いたことがあります。
間違えていたらすみません。
おそらく解剖に関して養老孟司さんがおっしゃっていたと思います。
その真意は理解できているかどうか分かりませんが、
私は『感覚』のことではないかな、と理解しています。
この感じを言葉に表すとこれかなあとかなるべく適切な言葉を探しますが、本体そのものを表す言葉はどうにも見つかりません。
体の何かに名前を付けることもきっとそうで、
本当はもっと適切な名前があるんじゃないか、と思われながら学者さんたちは名前をつけているのではないか、と。
でも一度名前をつけてしまうとその他にこれも本当はあるのに、というものが切り離されてしまう。
言葉自体もそうで、
本当はこのことを言いたいのに、そぐう言葉がない、致し方なくこれで伝える、のようなことはたくさんあるなあ、と。
でも言葉にしないと感覚を他者と共有することはできませんから、やはり言葉を使いますが。
そんなことを思った、今です😌