まずはやってみることなんだ、と
私の親は道徳的な人でした。
人に迷惑をかけない
人を傷つけない
嘘をつかない(他者を傷つける嘘はいけない)
親の言うことは聞くこと(できないと外に出されたり物置に閉じ込められたりしました。あるあるですが)→それでも嫌がれば黄色い救急車行きでした(頭がおかしい人のいく場所に行かせるということですね)
…子どもですから思い切り間に受けていました。
※私たちの時代はトップダウンが当たり前だった?
※間に受けない子どももいるようです。
だから本音を出せずにいました。
いつも親や他者がどう思っているのかに集中していて、自分がどうしたいか、なんて思いもしなかった。
大人になるかならないかのとき、ある人に
あなたの家族は仮面だらけだ
と言われました。
そのことに気づいたのはその時でした。
正しいことに囚われてそれこそ、◯◯警察のように周りの正しくない人が許せず、そのことばかりに固執していました。
(他者コントロールに躍起になり、自分のなかの課題から逃げていたのですね。)
もっと本音で話せばいいじゃん
そう言われたときに、あ、それすごい難しい、と思いました。どうしたらいいかわかりませんでした。
自分のなかのネガティブな感情は無かったことにしていたんですね。
今でも親は
ネガティブな感情は受け付けません。
正しくないことは今でも発言さえ許せないようでした。
※親にはもちろん悪気はありません。顕在的には。
でも正しいとは何か、
それは時代によって変わります。
死ぬことが大事な時代もあれば、
死ぬことは許されない時代もある。
そんな究極のことだって正しさは変わるのです。
話しは戻りますが、
例えば
いじめの経験も
したら傷は残りますが、たしかにその「経験」をしたことにはなります。
もちろんダメです。
でも、自分のやっちまった経験は実はものすごい学びになるのだろうと思います(学ぶ気があることが大前提ですが)。
だから私も思い切り一所懸命を馬鹿にする経験をすればよかったんだなあと思いました。
(相手を傷つけない方法で、その場で、ではなく、後で思い切りやってみる感じ)
※恥ずかしいを手放す…前日のブログ参照
怒られないようにするのではなく、
怒られる経験をする、に委ねる感じでしょうか。
そうすると、おそらく自身の悪魔性?は昇天する。
トラウマは消える
(期待はしない)
こんな感じかなあというのが自分なりの答えです。
今ふと思い出したのは
少年兵のトラウマを解除するために、同じシチュエーションを作る、というのを聞いたことがあります。
トラウマが蘇ったら再現する、もいい方法なのかもしれません。